俺たちの箱根駅伝のモデルは?実在大学と実話を解説

俺たちの箱根駅伝のモデルは 箱根駅伝

俺たちの箱根駅伝のモデルについて調べていると、明誠学院大学は青山学院大学なのか、甲斐真人は原晋監督がモデルなのか、大日テレビは日本テレビなのかなど、いろいろ気になってきますよね。

さらに、俺たちの箱根駅伝は実話なのか、関東学生連合は本当に存在するのか、東西大学にはモデル校があるのか、徳重亮には実在人物のモデルがいるのか、ドラマのロケ地とモデル大学に関係があるのかも検索されやすいポイントです。

実際、作品を読んでいると「この設定、どこかで見たことがあるな」「この監督は現実のあの人に似ているかも」と感じる場面があります。箱根駅伝を毎年見ている人ほど、実在大学や監督との共通点を探したくなるのではないでしょうか。

結論からいうと、明誠学院大学や甲斐真人、東西大学などには、特定の実在大学や人物をそのまま当てはめた公式なモデルは確認されていません。一方で、関東学生連合は実在し、大日テレビの箱根駅伝中継には日本テレビの中継史や実際の関係者への取材が色濃く反映されています。

つまり『俺たちの箱根駅伝』は、実在する大学や監督を名前だけ変えて登場させた作品ではありません。現実の箱根駅伝という舞台、大学駅伝の文化、学生連合という制度、中継を支えるテレビマンたちの仕事を徹底的に取材したうえで、その中に架空の大学や人物を配置したフィクションなんですね。

この記事では、原作とドラマの設定を整理しながら、青山学院大学や原晋監督との関係、日本テレビの坂田信久氏や田中晃氏、箱根小涌園の実話まで掘り下げます。モデルという言葉だけでは分かりにくい部分を、実在とフィクションに分けて見ていきましょう。

■本記事のポイント

  1. 明誠学院大学や甲斐真人に実在モデルがいるのか
  2. 青山学院大学や原晋監督との本当の関係
  3. 大日テレビと日本テレビ箱根駅伝中継の関係
  4. 作品に取り入れられた実話と架空設定の違い

俺たちの箱根駅伝のモデルは実在する?

俺たちの箱根駅伝のモデルは実在する?

まず一番知りたいところから整理します。『俺たちの箱根駅伝』には現実の箱根駅伝を思わせる設定がたくさん登場しますが、だからといって登場する大学や監督が実在の誰かと一対一で対応しているわけではありません。この違いを押さえておくと、モデルに関する疑問がかなり分かりやすくなりますよ。

ここで大切なのは、モデルという言葉を「そっくりそのまま元になった存在」と「現実の取材から影響を受けた要素」に分けて考えることです。前者の意味では明誠学院大学や甲斐真人に特定モデルは確認されていませんが、後者の意味なら大学駅伝界全体からかなり多くのリアルな要素が取り込まれています。

先に整理すると、明誠学院大学、甲斐真人、東西大学などは基本的に架空。一方で、箱根駅伝そのもの、関東学生連合、実在大学、日本テレビの中継史などは現実に存在するものです。

明誠学院大学にモデル校はある?

明誠学院大学にモデル校はある?

学生側の物語で中心となる明誠学院大学は、箱根駅伝でかつて連覇した経験を持つ古豪として描かれています。しかし物語の開始時点では2年連続で本選出場を逃しており、名門復活を目指して予選会へ挑むという設定です。

過去には強かったものの、近年は結果が出ていない。さらにOBの甲斐真人が監督に就任し、従来とは違う方法でチームを変えていく。この設定だけを見ると、「実在するどこかの古豪大学がモデルなのでは?」と思いますよね。

ただ、明誠学院大学に特定のモデル校があるとは公表されていません。池井戸潤自身も、物語の中心になるチームや主要なライバルを架空の大学として設定したことを語っています。

つまり、明誠学院大学を青山学院大学、中央大学、神奈川大学、早稲田大学などのどれか一校にそのまま当てはめる読み方は適切ではありません。

ここはかなり重要です。ある大学が一時期低迷していた、ある監督がOBだった、あるチームが復活した、といった断片的な共通点は現実の大学駅伝界を探せばいくつも見つかります。しかし、それだけで「ここがモデル」と断定することはできません。

明誠学院大学は、実在の一大学を名前だけ変えた設定ではなく、大学駅伝界への取材を土台に作られた架空校と考えるのが自然です。

池井戸潤は実際の大学陸上競技部の監督などにも取材しています。そこで、寮生活や練習方法、選手との距離感、指導方針、部内のルールなどが大学ごとに大きく異なることを知ったとされています。

同じ箱根駅伝を目指す大学でも、全寮制のところもあれば、選手が比較的自由に生活するところもあります。監督が練習を細かく管理するチームもあれば、選手の自主性を重視するチームもあるでしょう。こうした違いを知ったことで、作者が架空大学を自由に描く余地が生まれたわけです。

文藝春秋の池井戸潤への公式インタビューでも、明誠学院大学を「架空のチーム」としたうえで、舞台となるチームやライバルを架空大学にした考え方が語られています。モデル校を考えるうえで、ここはかなり有力な一次情報です。

(出典:文藝春秋「池井戸潤・創作の秘密『レースも小説も、筋書きなしで』」)

ですから明誠学院大学は、「A大学を7割、B大学を3割混ぜた」といった単純なものでもありません。現実の大学駅伝界を広く取材し、そこから得た空気感やチーム文化を再構成して生まれた架空校。この理解が一番しっくりきます。

明誠学院大学と青山学院大学の関係

明誠学院大学のモデルとして特に名前が挙がりやすいのが青山学院大学です。「学院大学」という名称が共通していることに加え、現実の箱根駅伝で青山学院大学の存在感が非常に大きいためでしょう。

テレビ中継で箱根駅伝を見る人にとって、近年の「学院大学」と聞けば青山学院大学を思い浮かべるのは自然ですよね。強豪校としての知名度も高く、原晋監督も広く知られているため、明誠学院大学と結び付けて考えたくなるのも分かります。

ただし、明誠学院大学=青山学院大学という公式設定はありません。

ここで大きなポイントになるのが、原作の世界には青山学院大学そのものが実在大学として登場することです。ほかにも早稲田大学、駒澤大学、東洋大学といった現実の箱根駅伝常連校が実名で存在します。

つまり作品世界では、青山学院大学と明誠学院大学は別々の大学です。青山学院大学が実名で存在しているのに、同じ大学を明誠学院大学という別名でもう一度登場させる、という解釈はかなり不自然なんですね。

名前やチームの雰囲気が似ていることと、公式なモデル校であることは別です。読者による考察と、作者が明らかにしている設定は分けて考えたほうがよいでしょう。

また、明誠学院大学は「かつて箱根で連覇した古豪」という背景を持っています。現在の強豪というイメージが強い青山学院大学とは、物語上の立ち位置も少し違います。

この「昔は強かったが、今は箱根本選から遠ざかっている」という設定だけなら、箱根駅伝の長い歴史の中で似た状況を経験した大学はいくつもあります。ですから一校だけを特定するより、「伝統校が復活を目指す」という大学駅伝で繰り返されてきた物語を凝縮した設定と見るほうが自然です。

もちろん、長年箱根駅伝を見ている人なら「この部分は青学っぽい」「ここは別の大学を思い出す」と感じる場面があるかもしれません。それは作品が大学駅伝界をかなり細かく取材して作られているからこそのリアリティーともいえます。

むしろ、読者ごとに違う大学を連想できるところが、この作品の面白さかもしれませんね。特定校の物語ではなく、「箱根を目指す大学」の普遍的な姿として明誠学院大学を見ると、作品の世界がぐっと広がります。

甲斐真人のモデルとなった監督は?

甲斐真人のモデルとなった監督は?

甲斐真人は明誠学院大学のOBで、自身も箱根駅伝を走った経験を持つ人物です。その後は一般企業で働いていましたが、低迷する母校を立て直すため陸上競技部の監督を任されます。

しかも本格的な監督経験がない状態からチーム改革へ乗り出すため、かなり印象の強いキャラクターです。ドラマ版では山下智久さんが演じます。

実績十分の名将が立て直しに来るのではなく、異色の経歴を持つOBが母校へ戻ってくる。この設定は、企業経験を経て大学監督になった実在指導者を連想させやすいですよね。

しかし、甲斐真人についても特定の実在監督をモデルにしたという公式情報は確認されていません。

池井戸潤は甲斐を天才肌の人物として語っており、現実の監督を忠実に再現した人物というより、物語を動かすために生み出されたオリジナルキャラクターと考えるほうが分かりやすいかなと思います。

甲斐真人の面白さは、「大学駅伝の常識に染まりきっていない人物」が監督になるところです。長年同じ世界で指導してきた監督とは違う視点を持ち込み、選手たちとぶつかりながら新しい価値観を提示していきます。

これは池井戸作品らしい人物設定でもあります。組織の中に外部的な視点を持つ人物を置くことで、当たり前だと思われていた慣習や考え方が問い直される。その役割を、甲斐真人が駅伝チームの中で担っているわけですね。

甲斐真人については、特定の監督を探すよりも、「実業界を経験した異色のOB監督」というキャラクター設定そのものを見るほうが、作品の狙いを理解しやすいです。

とはいえ、企業勤務の経験やチーム改革、従来とは違う指導方法、選手の自主性を引き出そうとする姿勢などから、実在する複数の監督を思い浮かべる読者がいても不思議ではありません。

その場合も、「モデル」と断言せず、「共通点がある」「連想させる」と表現しておくのが適切です。フィクション作品のモデルを考えるときは、この線引きが大切ですよ。

甲斐真人と原晋監督は別人物

甲斐真人のモデルとして最も連想されやすいのが、青山学院大学の原晋監督でしょう。

原晋監督も企業勤務の経験を経て大学駅伝の指導者となり、チームを大きく成長させた人物です。大学駅伝の外から得た経験をチーム運営に生かしてきたという点もあり、経歴や組織改革という部分だけを見ると甲斐真人と重なる印象があります。

また、従来の陸上指導者とは少し違う発信力やマネジメント感覚を持つというイメージからも、「甲斐は原監督がモデルでは?」と思う人は多いでしょう。

ただし、甲斐真人=原晋監督という設定ではありません。

特に分かりやすいのが2026年のドラマ版です。原晋監督自身が本人役として登場することが発表されており、架空の甲斐真人とは別の人物として作品世界に存在します。

つまりドラマの世界では、山下智久さん演じる架空の監督・甲斐真人と、青山学院大学の原晋監督本人が同時に存在することになります。

甲斐真人と原晋監督には「企業経験」「チーム改革」「既存の常識にとらわれない」という連想しやすい要素がありますが、作品上は別の人物として考えるのが適切です。

これは明誠学院大学と青山学院大学の関係にも似ています。青山学院大学や原晋監督が作品世界にそのまま存在する以上、それぞれを明誠学院大学や甲斐真人の単純な変名と考える必要はありません。

もちろん、小説の人物造形では、作者が長年見聞きした複数の人物の要素が無意識に反映されることもあります。ですから「原晋監督を思わせる」と感じること自体はおかしくありません。

ただ、それと「公式モデルである」は別の話です。ここを区別しておけば、SNSや検索結果でいろいろなモデル説を見かけても混乱しにくくなりますよ。

東西大学のモデルは青学や駒澤?

東西大学のモデルは青学や駒澤?

作中で強豪校として登場する東西大学も、「どこの大学がモデルなの?」と気になる存在です。

東西大学は平川庄介監督が率いる強豪として描かれ、ドラマ版では山本耕史さんが平川監督を演じます。現実の箱根駅伝で強豪といえば、青山学院大学や駒澤大学などが思い浮かびますよね。

そのため「東西大学は青学では?」「いや、駒澤大学の雰囲気に近い」といった見方が出てくるのは自然です。

しかし東西大学についても、青山学院大学や駒澤大学など特定の一校をモデルにしたとする公式情報はありません。

そもそも原作世界では青山学院大学や駒澤大学が実名で別に登場します。この点から考えても、東西大学をどちらかの大学の置き換えと考える必要はないでしょう。

東西大学の役割は、現実の特定大学を再現することよりも、物語の中で「優勝を狙う強豪」「追われる側のチーム」を表現することにあります。明誠学院大学や学生連合が挑戦する側だからこそ、対照的な強豪校が必要になるわけです。

駅伝ファンなら、強豪大学の選手層の厚さ、勝つことを期待されるプレッシャー、監督と選手の緊張感など、いろいろな大学の特徴を東西大学に重ねて感じるかもしれません。

東西大学は「青学か駒澤か」を決めるより、現代の箱根駅伝に存在する強豪校の空気を集約した架空校として見ると分かりやすいです。

明誠学院大学と同じく、大学駅伝界の強豪校に共通する空気や競争環境を取り込みながら作られた架空校と考えるのが妥当です。

俺たちの箱根駅伝のモデルと実話の関係

俺たちの箱根駅伝のモデルと実話の関係

ここまでを見ると架空の大学や人物が多いのですが、『俺たちの箱根駅伝』が完全な空想の世界というわけではありません。むしろ実際の箱根駅伝や学生連合、実在大学などを混ぜることで、フィクションなのに「本当にありそう」と感じる世界が作られています。

この作品を理解するうえでは、「実話かフィクションか」の二択で考えないことが大切です。物語と主要人物はフィクションですが、その背景には実際の制度、歴史、競技文化、中継現場が存在します。

言い換えれば、架空の物語を、現実の箱根駅伝の世界へ置いた作品なんですね。

関東学生連合は実在するチーム

関東学生連合は実在するチーム

物語の重要な軸となる関東学生連合は、架空の仕組みではありません。現実の箱根駅伝にも存在してきたチームです。

箱根駅伝予選会で本選出場を逃した大学の選手から、個人成績などをもとにメンバーが選ばれ、一つのチームとして本選を走る仕組みです。

名称や出場条件、順位の扱いなどは時代によって変化してきましたが、「予選会で大学としては本選出場を逃したものの、優れた個人成績を残した選手が選抜チームとして箱根を走る」という考え方自体は現実のものです。

ここが『俺たちの箱根駅伝』では非常に重要です。

普通の箱根駅伝小説なら、一つの大学がチーム一丸となって優勝やシード権を目指す物語になりそうですよね。しかし学生連合では、普段は別々の大学で走っている選手が突然一つのチームになります。

練習方法も違う。監督も違う。大学の規模も違う。箱根に対する思いも違う。しかも多くの選手は、一度「自分の大学として箱根に出る」という夢を絶たれています。

そこからもう一度、学生連合という形で箱根を目指す。この構造だけで、かなりドラマがあります。

たとえば、後にプロランナーとして広く知られる川内優輝さんも、学習院大学時代に学連選抜として箱根駅伝を走っています。また、慶應義塾大学の貝川裕亮さんも第99回箱根駅伝で関東学生連合として10区を走りました。

こうした実際の学生連合経験者がいるからこそ、作品の設定にも説得力があります。

池井戸潤にとって、この学生連合という仕組みが物語を作るうえで大きな突破口になりました。

実在大学そのものを主人公にすると、その大学独自の伝統やルール、現役選手への配慮が必要です。一方、予選会で敗れた複数の架空大学から選手を集めれば、それぞれ違う背景を持つ若者たちを自由に描けます。

関東学生連合があることで、「自分の大学では箱根を走れなかった選手が、別の仲間たちと襷をつなぐ」という独特のドラマが生まれます。『俺たちの箱根駅伝』のテーマと非常に相性がいい仕組みなんですよ。

しかも学生連合は、箱根駅伝という舞台に出場できる一方で、通常の大学チームとは違う立場に置かれます。この「出られるけれど、普通の出場校とは違う」という複雑さも、選手たちの心情を描く材料になります。

勝つことだけではなく、「なぜ走るのか」「誰のために襷をつなぐのか」を描きやすい。この点も池井戸作品との相性がよかったのでしょう。

青葉隼斗に実在モデルはいる?

青葉隼斗は明誠学院大学4年生の主将で、学生側の物語を引っ張る中心人物です。自身にとって最後となる箱根駅伝への挑戦を迎えるため、作品の中でも強い思いを背負っています。

ドラマ版では小林虎之介さんが演じます。

青葉の立場は、箱根駅伝を目指す大学4年生として非常に切実です。大学駅伝では4年間しかありません。高校時代にどれだけ有望だった選手でも、故障やチーム事情、予選会敗退などによって箱根を一度も走れず卒業することがあります。

4年生にとっては「来年頑張ればいい」がありません。そこが高校野球の3年生にも似た、学生スポーツ特有の重さですよね。

ただ、青葉隼斗についても、特定の実在選手がモデルだとする公式情報はありません。

箱根駅伝では毎年、4年生の主将が最後の大会へ挑む姿や、予選会で本選出場を逃して涙する場面が見られます。そのため、「過去のあの選手に似ている」と感じる人がいてもおかしくありません。

ですが、それは一人の実在選手を再現したからというより、箱根駅伝に実際に存在する普遍的なドラマを作品が丁寧に取り込んでいるからでしょう。

特に青葉のような人物は、「才能があれば必ず夢が叶うわけではない」という箱根駅伝の厳しさを象徴しています。

箱根を走れる選手はほんの一部。大学全体が予選会を突破できなければ、個人が速くても本選には出られません。だからこそ学生連合という存在が重要になり、青葉たちの物語にも厚みが出てきます。

池井戸潤は人物の名前についても、キャラクターの印象や響きを考えて一から付けています。青葉隼斗も、実在選手の名前を少し変えたキャラクターではないと考えてよさそうです。

青葉隼斗は「実在する誰か」よりも、箱根駅伝を目指しながら夢が叶うか分からない大勢の学生ランナーを象徴する人物として読むと、物語のテーマが見えやすくなります。

学生連合の大学や選手は架空?

学生連合の大学や選手は架空?

学生連合には、さまざまな大学から個性的なランナーが集まります。

作品には品川工業大学、武蔵野農業大学、山王大学、関東中央大学、調布大学、目黒教育大学、関東文化大学、京成大学、清和国際大学、多摩塾大学、東邦経済大学、東洋商科大学などが登場します。

ドラマ版では、武蔵中央大学、東京中央大学、西南大学といった名前も加わっています。

大学名だけを見ると、「どこか実在校っぽい」と感じますよね。関東の大学にありそうな名称が多く、あえて現実との境界をぼかすようなネーミングになっています。

ただし、これらは基本的に作品内の架空大学です。実在大学と似た響きがあっても、名称が似ているだけでモデル校と断定することはできません。

たとえば「東洋商科大学」という名前から東洋大学や商科系大学を想像したとしても、その大学のチーム文化や歴史まで一致するとは限りません。

学生側には、諫山天馬、猪又丈、倉科弾、咲山巧、佐和田晴、富岡周人、内藤星也、乃木圭介、松木浩太、峰岸蓮、村井大地、桃山遙など、多彩な人物が登場します。

それぞれが違う大学、違うチーム文化、違う事情を背負って学生連合へ集まるため、単なる寄せ集めでは終わりません。

自分だけ結果を出したのに大学は予選落ちした選手もいれば、チームへの申し訳なさを抱えている選手もいるでしょう。学生連合へ選ばれることを素直に喜べない選手がいたとしても不思議ではありません。

そうした複雑な感情を持つ選手同士が、一つの襷をつなぐチームになれるのか。このテーマが、学生連合編の大きな面白さです。

こちらも「川内優輝さんのような学生連合経験者を参考にしたのでは」と想像することはできますが、特定選手との一対一のモデル関係は確認されていません。

むしろ、実際に学生連合を経験した多くの選手が抱えてきたであろう感情や状況を、複数の架空人物へ分けて描いていると見るほうが作品の構造には合っています。

実在大学も原作に登場する

実在大学も原作に登場する

面白いのは、『俺たちの箱根駅伝』が架空大学だけで構成された世界ではないことです。

原作には青山学院大学、早稲田大学、駒澤大学、東洋大学など、箱根駅伝ファンなら誰もが知る実在大学も登場します。

ここが作品のリアリティーを大きく高めています。

もし箱根駅伝そのものは実在するのに、出場大学がすべて架空だったらどうでしょう。「箱根駅伝に似た別の大会」という印象が強くなってしまいますよね。

一方で実在校だけを使えば、フィクションとして自由に勝敗や人間関係を描きにくくなります。

そこで池井戸潤は、現実の大会と実在校の中へ、明誠学院大学や東西大学といった架空チームを自然に入り込ませています。

対象 実在・架空 モデルとの関係
箱根駅伝 実在 東京箱根間往復大学駅伝競走
明誠学院大学 架空 特定モデル校は公表されていない
甲斐真人 架空 特定監督モデルは確認されていない
青葉隼斗 架空 特定選手モデルは確認されていない
東西大学 架空 特定モデル校は公表されていない
平川庄介 架空 特定監督モデルは確認されていない
関東学生連合 実在 現実の制度を反映
青山学院大学など 実在 原作にも実名で登場

この「現実と架空の混在」こそ、作品がドキュメンタリーのようなリアリティーを感じさせる理由の一つです。

読者は知っている大学名を見つけることで、「これは自分たちが毎年見ている箱根駅伝の世界なんだ」と認識できます。その現実の世界へ架空の明誠学院大学が入ることで、まるで本当に出場していた大学のように感じられるわけです。

フィクションの自由さと、現実の箱根駅伝が持つ説得力。この二つをうまく両立させた構造といえます。

俺たちの箱根駅伝のモデルとテレビ局

俺たちの箱根駅伝のモデルとテレビ局

大学側では特定のモデルを置かずに作られた登場人物が多い一方、テレビ局側には現実の日本テレビ箱根駅伝中継の歴史がかなり濃く反映されています。ここは「モデル」という言葉の意味が少し変わってくるところです。

選手側が「大学駅伝界全体を取材して作った架空世界」だとすれば、テレビ局側は「日本テレビの箱根駅伝中継史という具体的な現実を強く下敷きにしたフィクション」に近いです。

『俺たちの箱根駅伝』をモデルという視点で読むなら、大学側よりテレビ局側のほうが実在の出来事との結びつきが強いと考えてよいでしょう。

大日テレビのモデルは日本テレビ?

大日テレビのモデルは日本テレビ?

作中で箱根駅伝のテレビ中継を担う放送局が大日テレビです。大日テレビという会社自体は架空ですが、箱根駅伝中継の舞台裏は日本テレビへの取材を強く下敷きにしています。

現実に箱根駅伝を全国へ生中継しているのは日本テレビで、1987年以来、その中継を担ってきました。

箱根駅伝のテレビ中継は、一般的なスポーツ中継と比べても非常に大規模です。東京・大手町から神奈川・箱根まで、長いコースを選手たちが移動し続けます。

スタジアム競技ならカメラや実況席を一定の場所に置けますが、駅伝では中継車が選手を追い、各所に固定カメラを設け、中継所ごとにスタッフを配置しなければなりません。

しかも山間部を含む長距離コースです。電波をどうつなぐか、映像をどう受け渡すか、どの選手を映すか、順位変動をどう把握するか。現場では大量の判断が同時進行します。

池井戸潤は作品執筆にあたり、日本テレビの箱根駅伝中継に携わった人物だけでなく、副調整室や箱根の中継センターなど、中継の現場についても取材しました。

そのため大日テレビを「日本テレビの名称だけ変えた会社」と単純化するより、日本テレビの箱根駅伝中継史を土台にして作られた架空テレビ局と考えるほうが正確です。

2026年のドラマ版について、日本テレビは1987年以来の箱根駅伝生中継の経験と、関東学生陸上競技連盟の協力を得た映像プロジェクトであることを公式に説明しています。

(出典:日本テレビ「俺たちの箱根駅伝 イントロダクション」)

ドラマ版が日本テレビ自身によって制作され、関東学生陸上競技連盟が協力している点も興味深いところ。実際に箱根駅伝を中継してきた放送局が、自社の仕事に近い世界をドラマとして再現するわけですから、かなり珍しい作品ですよね。

大日テレビは架空ですが、「箱根駅伝を中継するテレビ局」という仕事の部分については、日本テレビの実際の中継現場が極めて重要な取材対象になっています。

徳重亮のモデルは坂田信久?

大日テレビの箱根駅伝中継を率いるチーフプロデューサーが徳重亮です。ドラマ版では大泉洋さんが演じます。

そこでモデル候補として名前が挙がりやすいのが、日本テレビの箱根駅伝中継を実現させた初代チーフプロデューサー、坂田信久氏です。

坂田氏は、日本テレビによる箱根駅伝全区間の生中継を企画した重要人物。池井戸潤も作品執筆のため、坂田氏へ直接取材しています。

現在では正月にテレビをつければ箱根駅伝を最初から最後まで見られるのが当たり前に感じます。しかし、長距離を移動する駅伝をほぼ全区間生中継することは、当時としては非常に難しい挑戦でした。

箱根には山間部があり、安定した電波を確保するだけでも大変です。多数の中継地点や車両、人員、宿泊場所も必要になります。しかも開催は1月2日と3日。年末年始に大量のスタッフと機材を動かすわけです。

坂田氏はそうした難題を乗り越えて中継企画を実現させた人物であり、『俺たちの箱根駅伝』のテレビ局側の物語を考えるうえで非常に重要な存在です。

ただし、徳重亮=坂田信久氏と公式に設定されているわけではありません。

坂田氏は箱根駅伝中継の歴史を切り開いた人物。一方、徳重亮はすでに箱根駅伝中継が定着した時代を生きる架空のテレビマンです。置かれている時代や役割は同じではありません。

つまり、「徳重の経歴をそのまま坂田氏から取った」というより、坂田氏を含めた箱根駅伝中継関係者への取材から得た仕事観や責任感、現場の緊張感などがテレビ局パート全体へ反映されていると考えたほうが自然です。

徳重亮を坂田信久氏そのものとして読むのではなく、坂田氏をはじめとする実際の中継関係者への取材や仕事への姿勢が、徳重亮たちの人物造形に反映されていると考えるのが無理のない見方です。

これは実在人物をモデルにしたドラマと、実在する業界を取材して作られたフィクションの違いでもあります。

徳重には徳重自身の性格や悩み、立場があります。そこを坂田氏の実話と完全に重ねてしまうと、かえって作品の意図を見誤る可能性があります。

一方で、坂田氏の存在を知ってから作品を読むと、「テレビで箱根駅伝を届けること自体が、もう一つの駅伝だった」という感覚がより伝わってきますよ。

田中晃と放送手形の実話

田中晃と放送手形の実話

テレビ局パートのリアリティーを支えている実在人物として、もう一人外せないのが田中晃氏です。

田中氏は、日本テレビが箱根駅伝の本格的な生中継を始めた際の初代総合ディレクター。池井戸潤は田中氏にも取材しています。

特に興味深いのが、第1回中継の際に作られた放送手形と呼ばれる台本フォーマットです。

テレビ番組には通常、どの時間に何を放送するのかを示す進行表があります。ただ、箱根駅伝ではレース展開を事前に決めることは当然できません。

箱根駅伝は約200kmにわたる長距離レースです。選手の順位がいつ入れ替わるか分からず、トップ争いだけでなく、シード権争い、区間記録、途中棄権など、さまざまな出来事が同時に発生します。

そのすべてを、中継車、固定カメラ、各中継所、実況アナウンサー、センターのスタッフが連携して伝えなければなりません。

通常のスタジオ番組のように「10時32分15秒からこの映像」と秒単位で固定するのは難しいですよね。

そこで現場が状況に応じて対応しながら番組を成立させるための仕組みとして、独特の台本形式が作られました。それが放送手形です。

このエピソードが面白いのは、箱根駅伝中継が単にカメラでランナーを追えば成立するものではないと分かる点です。

選手たちが襷をつなぐ裏側で、テレビ局側も映像、音声、情報をつないでいます。一つでも連携が崩れれば、視聴者が見ている「箱根駅伝中継」は成立しません。

選手たちは襷をつなぎ、テレビスタッフは映像と情報をつなぐ。『俺たちの箱根駅伝』が学生側と中継側を二本柱にしている理由が、この仕組みを見ると分かりやすいです。

こうした実際の中継ノウハウまで取材しているため、テレビ局パートは単なる「テレビマンのお仕事ドラマ」にとどまらず、箱根駅伝中継そのものの迫力が感じられる内容になっています。

箱根駅伝を毎年何気なく見ていた人でも、この作品を読んだあとでは、中継車や実況、画面の切り替え方まで違って見えるかもしれません。

小涌園前が作品誕生のきっかけ

『俺たちの箱根駅伝』の誕生を語るうえで欠かせないのが、テレビ中継でおなじみの小涌園前です。

箱根駅伝の実況では大手町、戸塚、小田原、芦ノ湖など、多くの場所が地名で呼ばれます。それなのに小涌園前だけは施設名ですよね。

箱根駅伝を長く見ている人にとっては聞き慣れた言葉なので、特に疑問を持ったことがないかもしれません。私も背景を知らなければ、単なる中継ポイントの名称だと思ってしまいます。

ところが、この呼び方の裏には日本テレビが箱根駅伝の本格的な生中継を開始した頃のエピソードがあります。

池井戸潤は、その理由を知ったことで箱根駅伝中継の裏側に興味を持ち、「これは小説になる」と感じたとされています。

1987年、日本テレビが箱根駅伝を大規模に生中継しようとした際、箱根地区には約300人規模のスタッフが必要になりました。しかし正月の観光地・箱根で、それだけの人数が宿泊できる場所を確保するのは簡単ではありません。

今なら大規模スポーツイベントの中継体制はある程度確立されていますが、当時は箱根駅伝全区間生中継自体が大きな挑戦でした。スタッフの宿泊という、一見テレビ放送とは関係なさそうな問題まで解決しなければ中継できなかったわけです。

そこで箱根小涌園が、大広間での雑魚寝を含む形でスタッフを受け入れ、中継実現を支えたといわれています。

その協力への感謝から、選手がホテル前を通過するポイントを中継で「小涌園前」と呼ぶようになったというエピソードです。

箱根小涌園のエピソードは、作品内に登場する一人物のモデルというより、『俺たちの箱根駅伝』という作品そのものが生まれるきっかけの一つです。

ここが非常に面白いところです。

普通、「箱根駅伝を小説にする」と聞けば、多くの人はランナーを主人公にするでしょう。誰が何区を走るのか、エースが故障するのか、逆転できるのか。そういった競技のドラマを中心に考えるはずです。

ところが池井戸潤が見つけたのは、選手の後ろにいるテレビマンたちのドラマでした。

箱根を走る学生たちだけではなく、その走りを全国へ届けるために何百人ものスタッフが動いている。毎年当たり前のように放送されている番組にも、実現までの歴史がある。

その発見が、学生側とテレビ局側を同時に描く現在の形につながったわけですね。

モデルというキーワードでこの記事へ来たあなたにとっても、実は「どの大学がモデルか」以上に、この小涌園前の話こそ『俺たちの箱根駅伝』を理解する重要なポイントかもしれません。

大日テレビの登場人物は実在する?

大日テレビの登場人物は実在する?

大日テレビには徳重亮だけでなく、宮本菜月、北村義男、辛島文三、黒石武など多くのテレビ局関係者が登場します。

ドラマ版では、徳重亮を大泉洋さん、宮本菜月を伊藤沙莉さん、黒石武を高橋克典さん、辛島文三を竹中直人さんが演じるなど、かなり豪華な顔ぶれです。

これだけ中継現場への取材が細かいと、「登場人物も日本テレビの実在社員がモデルなのでは?」と考えますよね。

しかし、これらの人物についても「宮本菜月は日本テレビの○○さん」「黒石武は実在した○○局長」といった一対一の対応関係は公表されていません。

現実のテレビマンへの取材を重ねつつ、物語として成立するよう複数の経験や役割を再構成して生み出された架空人物と見るのが自然です。

ここでも大学側と同じように、「仕事はリアル、人物はフィクション」という考え方が役立ちます。

作中の要素 位置付け 現実との関係
大日テレビ 架空 日本テレビの箱根駅伝中継が強く下地
徳重亮 架空 特定の一人をモデルとする公式情報なし
宮本菜月 架空 中継現場への取材を生かした人物
坂田信久氏 実在 日本テレビ箱根駅伝中継の重要人物
田中晃氏 実在 初代総合ディレクターとして取材対象
箱根駅伝中継 実在 作品のテレビ局パートを支える土台

つまり、大日テレビのパートは会社名と主要人物はフィクション、仕事の仕組みや歴史にはリアルな取材が反映されているという構造になっています。

このバランスのおかげで、実在社員の物語に縛られることなく、箱根駅伝中継という仕事の本質を描けるんですね。

俺たちの箱根駅伝のモデルを深掘り

俺たちの箱根駅伝のモデルを深掘り

最後に、なぜ池井戸潤が実在大学をそのまま描かなかったのか、監修者とモデルの違い、ドラマのロケ地との関係まで整理します。このあたりを押さえると、「似ているからモデルだろう」という単純な見方ではない作品の作り方が見えてきます。

とくにドラマ版の放送が近づくと、撮影場所や出演者、監修者など新しい情報が増えます。そのたびに「この大学がモデルでは?」という説も出やすくなるので、モデル、監修、ロケ地を別々に理解しておくと混乱しません。

池井戸潤が架空大学にした理由

池井戸潤が架空大学にした理由

池井戸潤は箱根駅伝を題材にしようと考えてから、実際に作品を書き上げるまで十余年の時間をかけています。

なぜそれほど時間がかかったのかというと、大きな理由の一つが「どの大学の誰を主人公にすればよいのか」という問題でした。

たとえば実在する早稲田大学の主将を主人公にするとしましょう。実際の早稲田大学には長い歴史があり、陸上競技部独自の伝統やチームルールがあります。

もし小説の都合で「この大学ではこういう指導をしている」「選手同士にこんな問題があった」と描いたら、読者はフィクションだと分かっていても実際の大学と重ねてしまうかもしれません。

小説では当然、勝利だけでなく失敗や葛藤、人間関係の衝突なども描きます。監督の判断が間違うこともあるでしょうし、選手が反発することもあります。

架空の出来事を実在大学の選手に経験させてしまえば、「実際にもこんな問題があるのでは」と誤解される可能性があります。

しかも箱根駅伝は、現役大学生が本当に人生をかけて挑戦している競技です。架空のドラマを作るために、実在チームの評判へ影響を与えてしまうのは避けたいところですよね。

そこで池井戸潤が思いついたのが、予選会で敗れた大学の選手たちを学生連合として集める構成でした。

  • 大学名を架空にできる
  • さまざまな背景の選手を登場させられる
  • 大学ごとの違う文化を描ける
  • 実在大学への不要な誤解を避けられる

この発想によって、箱根駅伝という現実の大会の中で、架空の大学と選手を自由に動かせるようになったんですね。

しかも学生連合なら、参加者は同じ大学の仲間ではありません。主人公一人だけでなく、多数の大学と選手の人生を描けます。

強豪校にいる選手、無名大学から挑む選手、故障を経験した選手、最後のチャンスに賭ける4年生。それぞれ違う「箱根に出られなかった理由」を持つ若者たちを同じチームへ集められます。

一方で、取材自体はかなり現実に踏み込んでいます。大学陸上部の監督に話を聞き、寮の有無、練習方法、チーム運営、選手との接し方などが大学ごとに異なることも調べています。

最初から完全に想像で大学を作ったわけではなく、現実を十分に知ったうえで架空大学を組み立てている。この順序が大切です。

『俺たちの箱根駅伝』は、実在大学を避けたからリアルではないのではなく、現実を深く取材したからこそ、実在校を使わなくてもリアルな大学駅伝を描けた作品です。

だからこそ、架空なのに妙にリアル。ここが『俺たちの箱根駅伝』の大きな魅力かなと思います。

大後栄治はモデルではなく監修者

大後栄治はモデルではなく監修者

ドラマ版について調べていると、神奈川大学を箱根駅伝総合優勝へ導いた大後栄治氏の名前も出てきます。

そのため「甲斐真人のモデルは大後栄治氏なのでは?」「明誠学院大学は神奈川大学がモデル?」と思う人もいるかもしれません。

しかし大後氏は、ドラマ版で陸上競技指導・監修を担当する立場です。原作に登場する甲斐真人のモデルとして名前が挙げられているわけではありません。

ここは、モデルと監修の違いを理解するとすっきりします。

モデルは、登場人物や設定を作るときに元となる存在です。たとえば「この実在人物の人生を参考に主人公を作った」という場合ですね。

一方の監修は、作品内の表現が現実から大きく外れないよう、専門知識を提供する役割です。

ドラマの学生役を演じる俳優たちは、実際の長距離ランナーらしい身体や走りを表現する必要があります。

普段走っていない俳優が、フォームだけ真似しても箱根を目指す大学生ランナーには見えません。腕振り、足運び、姿勢、疲労したときの走り方、集団走の位置取りなど、細かな部分に競技経験が表れます。

そこで大後氏のように長年大学駅伝の現場にいた人物が関わる意味が出てきます。

学生役のキャストは数か月にわたってトレーニングを行い、大後氏は長距離走のフォームだけではなく、チームとしての振る舞いや駅伝選手の精神面などにも関わっているとされています。

モデルと監修は別物です。モデルは登場人物や設定の元となる存在、監修は作品の表現を現実に近づけるため専門的な助言をする立場と考えると分かりやすいですよ。

ですからドラマを見て「神奈川大学っぽい」と感じる場面が出てきたとしても、それだけで明誠学院大学のモデルが神奈川大学ということにはなりません。

むしろ大後氏が監修することで、特定大学の再現ではなく、「大学駅伝選手ならこう動く」「監督ならこう接する」といった競技全体のリアリティーが高められていると考えたほうがよいでしょう。

ロケ地とモデル大学は別物

ロケ地とモデル大学は別物

ドラマ化によって、もう一つ混同しやすくなったのがロケ地とモデル校です。

『俺たちの箱根駅伝』ではリアリティーを高めるため、実際の箱根駅伝に関係する施設や大学施設などで撮影が行われています。

たとえば読売新聞東京本社では、現実の箱根駅伝で1区の選手が控室として使用する場所でも撮影されています。また、大学施設での撮影情報が出ることもあります。

こうした情報を見ると、「ここで明誠学院大学のシーンを撮影したなら、この大学がモデルなのでは?」と考えたくなりますよね。

ですが、撮影した場所=物語上のモデルではありません。

ドラマの撮影では、架空の学校を実在する大学の校舎や競技場で表現することは普通にあります。作品の設定に合う景観、撮影許可、交通アクセス、撮影スペースなど、さまざまな条件を考えてロケ地が決まります。

仮に東洋大学の施設が明誠学院大学のシーンに使われたとしても、それは撮影場所として条件が合ったという意味であり、明誠学院大学が東洋大学をモデルにしている証拠にはならないんですね。

さらに、一つの架空大学を複数の場所で撮影するケースもあります。

校舎の外観はA大学、グラウンドはB大学、寮の内部は別の施設ということもあり得ます。映像では編集によって一つの場所に見せられるからです。

言葉 意味 今回の例
モデル 人物や設定の着想元 明誠学院大学に特定モデル校は確認されていない
監修 専門知識を提供して表現を支える 大後栄治氏による陸上競技指導
ロケ地 実際に映像を撮影した場所 実在大学や箱根駅伝関連施設など

この3つを分けて考えるだけで、ドラマ版の情報はかなり整理しやすくなります。

放送開始後は新しいロケ地や出演者、設定が明らかになる可能性があります。ドラマに関する最新かつ正確な情報は公式サイトをご確認ください。また、人物や大学とのモデル関係を断定する必要がある場合は、原作者や制作会社など一次情報を確認し、最終的な判断は専門家にご相談ください。

特にSNSでは「ここで撮影しているから、この大学がモデル」「この衣装が似ているから、あの大学が元ネタ」といった推測が広がりやすいです。

考察として楽しむ分には面白いのですが、公式設定として紹介するときは注意が必要です。モデルとロケ地は明確に分けて見ることをおすすめします。

俺たちの箱根駅伝のモデルまとめ

俺たちの箱根駅伝のモデルまとめ

『俺たちの箱根駅伝』のモデルについて調べていくと、実在とフィクションをかなり巧みに組み合わせた作品であることが分かります。

まず、物語の中心となる明誠学院大学には、特定のモデル大学は確認されていません。青山学院大学と名前が似ているものの、原作世界には青山学院大学が実名で別に存在します。

そのため、「明誠学院大学=青山学院大学」と一対一で考えるより、実際の大学駅伝界への幅広い取材をもとに作られた架空校と考えるほうが自然です。

甲斐真人についても同様です。青山学院大学の原晋監督と企業経験やチーム改革など共通して見える部分はありますが、甲斐真人=原晋監督という公式設定はありません。

むしろ2026年のドラマ版では原晋監督本人が実在人物として登場するため、甲斐真人とは別人物として扱われます。

東西大学や平川庄介、青葉隼斗、学生連合に参加する多くの架空大学・選手についても、特定の実在モデルが公式に示されているわけではありません。

一方で、現実そのものが強く反映されている部分もあります。

箱根駅伝は実在する大会
関東学生連合も実在する仕組み
青山学院大学や早稲田大学など実在校も登場
大日テレビの中継現場は日本テレビへの取材が土台
坂田信久氏や田中晃氏への取材がテレビ局パートに反映
箱根小涌園の実話が作品誕生の大きなきっかけ

ここまでを表にすると、かなり分かりやすいです。

気になる対象 結論
明誠学院大学のモデル 特定の実在大学は確認されていない
青山学院大学との関係 原作世界に別の実在大学として登場
甲斐真人のモデル 特定の実在監督は確認されていない
原晋監督との関係 共通点はあるが別人物
東西大学のモデル 特定校は公表されていない
関東学生連合 実在する仕組み
大日テレビ 架空だが日本テレビ中継史が強く反映
徳重亮 架空人物で特定モデルは未確認
坂田信久氏 実在する日本テレビ箱根駅伝中継の重要人物
田中晃氏 実在する初代総合ディレクター
小涌園前 作品誕生につながった実話の一つ

つまり、この作品は「青学がモデル」「原監督がモデル」と一言で説明できるタイプの小説ではありません。

俺たちの箱根駅伝のモデルを一言でまとめるなら、特定の大学や人物ではなく、現実の箱根駅伝という世界そのものです。

この表現が一番近いかなと思います。

池井戸潤は箱根駅伝という大会だけを借りたわけではありません。大学陸上部の文化、予選会で敗れる選手たちの思い、学生連合の仕組み、監督と選手の関係、テレビ局の中継体制、箱根小涌園のエピソードなど、多くの現実を取材しています。

そのリアルな土台の上に、明誠学院大学、甲斐真人、青葉隼斗、東西大学、徳重亮、大日テレビといった架空の存在を配置しています。

だから箱根駅伝をよく知る人ほど「この大学に似ている」「あの監督を思い出す」と感じますし、詳しくない人でも本当に存在するチームの物語のように入り込めるんですね。

さらに面白いのは、学生ランナーだけではなく、中継するテレビ局まで「箱根駅伝を走る側」として描かれているところです。

選手は一本の襷をつなぎます。テレビ局は中継車、カメラ、アナウンサー、ディレクター、技術スタッフをつないで映像を届けます。どちらも一人では完成しません。

そして、全員が完璧に報われるわけでもありません。

箱根本選へ出られない選手がいる。学生連合に選ばれても複雑な思いを抱える選手がいる。テレビでは映らないところで膨大なスタッフが働いている。

『俺たちの箱根駅伝』は、華やかな優勝争いだけではなく、夢が叶わなかった人や、表舞台に立たない人まで描こうとしている作品なんですね。

その意味では、「モデルは誰なのか」という疑問から読み始めても、最後には「箱根駅伝を作っているすべての人が、この作品の現実的な土台なのかもしれない」と感じるかもしれません。

ドラマを見るときも、「誰が誰のモデルなのか」だけを探すより、どの部分が現実の箱根駅伝から生まれ、どこからが池井戸潤のフィクションなのかを意識して見ると、作品をさらに楽しめるかなと思います。